今回はディアトロフ峠事件の最新情報(2020ver.)について。
もくじ
何だコレ!?ミステリーSPで放送
オカルトマニアの間で伝説級の事件といえば『ディアトロフ峠事件』ですよね。
11月4日(水)放送の世界の何だコレ!?ミステリーで『ディアトロフ峠事件に新展開が‼』とのことで、
‥と思いきや・今回はなんと、
『事件を再調査していたロシア検察が、ある結論を発表‥事件の結論とは⁉』
‥というわけで今回は、
『ディアトロフ峠事件が気になっている』けれど、
・11/4の『何だコレ』を見逃した方へ。
・そして『アレでは納得できない』方
‥の為の記事となっております。
ご了承・注意ください
今記事の『事件あらまし』ベースは『11/4放送の何だコレ』の内容となります。WIKIなどに記載のデータベースと多少の違いがあります
(事件詳細は ページ最下部のソース元を参照🙂)
事件のあらまし‥発生編
1959年。オトルテン山を目指して出発した、
ディアトロフ隊メンバーの記録が途絶えたのは2月1日。‥それが事件当日となる。
時刻は午後5時頃。
パーティーは『オトルテン山』まで約10kmの場所に到着。
『そろそろ日没だ、テントを張ろう』
その時点での強風の方角を読み、
ながらかな丘を風よけにしてテントを張ったとみられる。
薄暗い中で地形・降雪状況をしっかり確認せずに設営したのも、フラグとなった?
💡 ポイント
テントを設営するため『メンバーが雪を掘る写真』が残されている。
これが、彼らの姿をとらえた最期の写真となった。
ディアトロフ峠は、
ウラル山脈北部、強風が吹きすさぶ場所で草木がほとんど生えていない場所
ディアトロフ峠とは、メンバーの『ディアトロフ』からちなみ、事件後から呼ばれるようになった。
『何だコレ』の取材班が2016年に
実際にテント現場を訪れたときの映像を見ても、現場がとてもなだらかな場所であることが分かる。
事件のあらまし‥捜索編
テントを張った日から18日後‥2月19日。
地元の当局に、(親族から)男女9人が消息不明になったと連絡が入る。
すぐに捜索隊が手配され、山に向け出動した。
当時、捜索隊に参加した男性『ミハイルさん』に番組が取材している(2016年取材)。
ミハイル:『私たち捜索隊が派遣されて3日目、ディアトロフたちのスキーの跡を発見した』
ミハ:『その跡をたどっていくと、雪に覆われたテントがあった』
『発見されたテント』の写真を見ると、
テントの半分が雪に覆われた状態であるが、支柱がしっかり立っている。
テントの中を見てみると、食事が残っている。
他にテントの中にあったもの
地図、日記、カメラ、ブーツ・上着など衣類
(中の状態を確認できる程度には、テントは潰されていないかった…ということになる)
捜査員は『(全ての荷物があるのに)人だけが突然、消えたように居なくなっている』と感じたそうだ。
💡 ポイント
さらにテントには破れている個所があった。
のちの鑑識の調査で、テントは刃物のようなモノで内側から切り裂かれたと判明した。
捜索隊が見たもの
テントから5mほど下ったところに、メンバーと思しき足跡を発見(当時の写真あり)。
その足跡をたどると、
ミハイル:『森の方に行くと、大きなヒマラヤ杉がありました。その下に黒いものを見つけ、よく見るとカラダの一部‥足、手が見えました』
テントから1.5km離れた森の中で、
捜索隊は2人の遺体を発見した。
① 大きなヒマラヤ杉の周囲で合計6人の遺体を発見。
② 残りの3人はテントから900mくだった所~森までの間で点々と倒れていた
ミハイル:『とても不自然な光景でした。服を着る間もなく、なぜ全員がテントを出たのか?』
💡 ポイント
発見された遺体は、極寒なのに薄着・下着姿・裸足(履いている人もいた)だった。
💡 ポイント
事件当時の気候は 風速およそ15m。気温は-30℃と想定された。
そんな気象状況のなか、
テントから1.5km離れた場所まで 薄着で歩き続けるとは‥いったいどんな危機が当時の9人を襲っていたのだろうか?
💡 ポイント
ミハイルさんは遺体を確認し 恐怖を感じた。理由は、
- ほとんどの遺体が黒か茶色に変色していた
- ヒゲが灰色になっている人もいた
- 3人は、頭蓋骨や肋骨の数カ所を骨折していた
- 眼球や舌がない人もいた
事件に対する 旧ソ連の動き
当時の『地元の検察当局』は、死因がハッキリとしないため刑事事件として捜査を本格化させた。
当時この事件の指揮を執ったのは、
主任捜査官『レフ・イヴァノフ』。
彼は『メンバーは 何か(誰か) から逃げたのではないか?』と目星をつけ、周辺を徹底捜査した。
‥が・何も手がかりがなく、捜査は難航する。
そんななか、現場周辺で『不思議な光球』を目撃したという証言が複数あがった。
当時の捜査資料:
『現地時間6時55分 月の大きさほどの光る球が現れた』
『南の空から、鮮やかな白い光の球が現れた』
💡 ポイント
現場で発見されたメンバーの『遺品のカメラ』には、数十枚の写真が残されていた。
最後に撮影された1枚に、暗闇の中で光る球体(‥というよりもフレア?のようなもの)が映されていた。
💡 ポイント
メンバーの遺体の衣服を調べてみると、通常よりも高い数値の放射能が検出された。
※ この番組の情報によると、
遺体の衣服は一まとめにされ、個別ではなく・いっきに計測されたようです(ココが重要)
操作が打ち切られる‥
💡 ポイント
事件発生から数か月後。
当時のソ連政府は9人の死について『抵抗できないチカラによって死んだ』と結論を出した。
さらにこの結論を一般には公表せずに、捜査を打ち切った。
国の調査が再始動した
それから61年が経過した2020年7月。
ロシア検察当局から、ディアトロフ峠事件について会見があった。
『悲惨な結果を引き起こすことになった、その力とは何なのか?』
『我々の操作目的は、非業の死に至らしめた原因を突き止め、対策を講じることだ』
30人の調査隊が結成されて、その結果・真実に近づいたというのだ。
検察当局が調査するキッカケを『コムソモリスカヤ・プラウダ社(新聞社)』に、何だコレ取材班が取材した。
ロシア大手新聞社の編集長であり、ディアトロフ峠事件について調査を継続してきた『ウラジミール編集長』。
ウラジ:『いまだに不明点があまりにも多い事件。遺族の為にも、その謎を解かなければならない。(私が)ロシア検察当局にかけあい、再調査を開始しました』
亡くなった9人の遺族たちへ、その原因を伝えるためロシア当局が動いたのだという。
当時の捜査資料を洗い直すとともに、専門家の協力のもとに事件を化学的に分析を開始した。
核ミサイル事故を否定
ロシア検察当局 検事『アンドレイ・クリヤコフ』氏が会見で説明する。
『事件の原因についての諸説は 75あります』
『私たちはまず、それぞれの説を検証しました』
諸説のなかで、多くの人の間で有力視されていたのが『旧ソ連の核実験疑惑』である。
この説は旧ソ連時代に、
実験のため『弾頭ミサイルの基地』から発射された核ミサイルがオトルテン山付近で誤爆し、
『9人はその事故の影響を受けたのではないか?』というもの。
💡 核兵器開発による事故の可能性は?
会見:『ミサイルの飛行経路、飛行範囲、観測時間‥残されていたデータを調べたところ、専門家は ミサイルの可能性を完全に否定しました』
💡 衣服についていた放射能について
検事いわく『当時の検査資料を専門家に渡し、再調査した結果‥』
『(衣服から検出された放射能は)1957年に起きた『核技術施設での事故で 放出された放射能』が原因だったと考えられます』
『メンバーの1人はその施設の従業員で、彼の衣服から放射能が検出されました』
※番組内では、働いていた人物が誰だったのか公表せず。就業については、遺族の証言があるはずなので‥これは事実なのでしょうね
💡 今回最大のポイント
なぜ1人だけの放射能が『全員から検出された』という結果になったのか?
▼
(前述のとおり)『メンバーの遺品の衣服』をゴチャ混ぜにして、いっきに放射能を測定したので、『メンバー全員が “事件当時に” 高い放射能汚染ににされされた』と勘違いしてしまった‥とのだそうです。
このことから『核実験疑惑が消えた』のだという。
微気象がカギとなった
様々な説を検証していった結果、事件の真相に迫る重要なモノにたどり着いたのだという。
ロシア検察が重要視したのは『テントを設営した場所』の写真。
調査隊はこの写真をもとにして、当時の彼らのテントの位置を正確に把握した。
そして、気象データを集めてその場所の『微気象』の調査を行ったのだという。
微気象とは?
ある地点の地表近くで起こる、小規模の気象現象のこと
ロシア検察当局は、
現代の科学技術を駆使して、テントがあった場所のピンポイントの気象状況を割り出した。
すると、61年前には当事者にしか分かり得なかった事件当日の9人の状況が見えてきた。
ロシア検察当局の推測‥前編
💡 以下からはロシア検察当局の推測
1959年2月1日:午後8時頃。
『午後8時~9時ころ、急激な天気の悪化があった。風速は15m➡35mの突風へ変化した』
会見:『山でテントを設営するときは、風が当たらない物陰を探します。』
会見:『彼らは確かに、その場所を見つけましたが‥その場所は、風によって雪が吹き溜まる場所でした』
会見:『彼らはまさに、吹きだまった雪のすぐ下に、テントを立ててしまったのです』
調査隊に同行し 現地調査した専門家、
モスクワ大学ポポヴニン準教授は、
ポポ:『現地で 雪の断面調査を行いました』
その調査によると、テントを設営した斜面上のほうで、表層雪崩が発生する条件がそろっていたという。
💡 雪崩説で話を進めると‥
午後8時代、あの時間に‥
9人は、テントの中で『雪面に亀裂が入る音』を聞いたのではないか?
雪崩が発生する‼ とにかく急いで ココを離れなければならない。パニックになるメンバー。
テントをナイフで切り裂き、
編み上げのブーツを履く暇もなく、
9人はテントを飛び出す。
吹雪によって視界を奪われ、方向感覚も無くし彷徨い始めたといわれる。
ポポ:『このとき気温は-5℃ ➡-35℃まで急激にさがった(微気象による推測)』
薄着により、体温が急激に低下してカラダが硬直‥次々と力尽きてゆく。
そんな中でたどりついたのが、ヒマラヤ杉のあるあの森だった。
ロシア検察当局の推測‥後編
遺体発見時、たき火の跡があったため『メンバーは暖をとっていたのでは?』とも言われているが、すぐに火は消えてしまった。
そこで力尽きたのが、最初に発見された2人。
そしてその近くで見つかった4人は、
風を避けようと雪洞を作ったとみられる(形跡があった)。
ところが‥雪洞を掘ろうとした場所は『谷』になっており、雪を掘ったため雪崩が発生。
掘ったメンバーは 雪の下敷きになってしまった。
💡 頭蓋骨や肋骨の骨折は、雪崩のせい?
会見:『頭蓋骨や肋骨の骨折は、(この時の雪崩の)雪の重みによるもの』
会見:『発見時、遺体は3m以上の雪に覆われており、大量の雪の圧力がかかっていました』
『テニスボールの片面に荷重をかけると、荷重をかけた部分ではなく、その反対側が破裂します』
『これと同じように、大きな外傷のあった遺体は、すべて雪に押された面の反対側に損傷がありました』
『(ということで)これらのケガの原因は、雪の圧力によるもの』
納得するや否や?
‥ということで、事件の真相は
『強風により、発生した雪崩』
以上。
会見:『彼らは、最後の瞬間まで生き延びようと行動しました。しかし、残念ながら・この状況では、助かるチャンスはなかった』
‥以上がロシア検察当局が導き出した答え‥だという。
その一方で、
9人の遺族や関係者たちは
今回の調査結果とは別に、
『人為的な要因があった』と考えて、独自に調査を続けているという。
かっこんの感想
ディアトロフ峠に関する考察サイト熟読された方には、今回のロシア検察当局の説明では不十分であると感じられることでしょう。
『雪崩が発生するぞ!!!』とメンバーがパニックになったせいで、テントを内部から引き裂き、何も羽織らず・ハダシで飛び出すのは納得できます。
問題はその後です。
・なぜ遺体の体が分断されていたのか?
・なぜ変色して(焦げて)いたのか?
・なぜ眼球・舌が無い遺体があった?
➡雪崩の説明では足りない
舌が消失した時点で『心臓が動いていた』という検視結果があるそうだ
・⛺️テントは壊滅的には潰されてなかった(食事の用意があると確認できた)。なぜか?
➡テントを襲った雪崩は、実際には小規模なものだった?(メンバーが『亀裂が入る音』を聞いて飛び出す程だったのに?)
・3日後に到着した捜索隊は、テントが雪崩にあったと確認できなかった?
➡やはり雪崩の被害は『ほぼ』なかった?
➡メンバーは『亀裂の入る音』ではなく『カルマン(ヘアピン)渦の音』にビックリして飛び出したのか?(今回の検察の会見ではこの話はなかった)
・ヒマラヤ杉のあたりで、焦げていたという証言があるそうだ
➡『メンバーがたき火にトライした跡』とだけあり、スルーした。
強引に終結した感が否めないのですよね。
もう、ロシア政府は今後・公式な調査を一切しないのでしょうか? ディアトロフ峠事件は、これ以上の答えは出ないままなのか‥。
モヤったまま、今回の記事は以上です。
ディアトロフ峠事件 参考
ディアトロフ峠事件|Wikipedia
ディアトロフ峠事件―数奇にして奇妙なる9人の死|オカルト・クロニクル