2020年1月11日放送のNHKスペシャル『認知症の第一人者が認知症になった』感想を記します。
もくじ
📺長谷川和夫さんのお話です
このお話の主役は『長谷川和夫さん (90)』。
「長谷川式」と呼ばれる、認知症の早期診断の検査指標を開発した。
「痴呆」という呼称を「認知症」に変えるなど、人生を認知症医療に捧げてきた、権威ある医師である。
今回、長谷川さんは自身が認知症であると公表され、
さらに認知症の進行に悩むご本人とご家族(奥さまと娘さま)の日常を、赤裸々に公開してくださっています。
✅ なぜ公開されたのか?
公開された理由は‥長谷川さんが、かつての先輩の医師から言われたこの言葉、
〝キミ自身が認知症になって、初めてキミの研究は完成する″
ご自身の使命感から、公開されていらっしゃいます。
わたしたちは、今回の件を貴重な『認知症の体験談』として受け止めると良いのではないか、と思います。
以下、つらつらと番組の『あらすじ&感想』を記します。
所々で私が勝手に解釈している部分あり。内容が正確ではないかもしれません。ご了承ください
長谷川さんは、私の90歳の祖父に通じるところが多々あり、他人事に思えません。私の祖父にかさなる点もどんどん書きます。
📺 コミュニケーションが億劫に
認知症になり、長谷川さんは『くちかず』が少なくなった。
✅ 口をつぐんでしまう理由は、
長谷川さんが発した言葉により、相手が『どうしてそんなことを今・言うのか?』と、イチイチ心配されるのがうっとおしいから、発言するのが億劫になられたそうです。
私の祖父は、コミュニケーション‥『やりとり』に、手数がかなり増えるので、しゃべるのが面倒になったという感じです。
それによって、どんどんコミュニケーションが困難になっていくという、悪循環に繋がっているように感じます。
(話をもどします)
長谷川さんは、娘さんの『まりさん』には本心をぶつけているように見えました。
なぜかというと、まりさんは長谷川さんにキビしいから‥(笑)
📺 娘さんとのやりとり
まりさんは、講演会活動をされる長谷川さんの、マネージャーの立場として『父親にこうあってほしい』という想いから、どうしても父・長谷川さんに強く当たってしまうんですよね。
『自分(長谷川さん)のやりたいことをガマンしろ(意訳)』というまりさんに、つい・意地悪な言い返しをしてしまう長谷川さん⬇
長谷川さん:『しかし、僕が死んでいくときにはどんな気持ちで死んでいくかしら?』(ガマンしたところで、自分のキモチはどうなるのか?という意味)
まりさん:『でも、(ワガママを言っていたら)お母さんが大変でしょ?』
まりさん:『デイケアをお母さんのために行ったら?』
(長谷川さんはデイケアに行きたくない)
長谷川さん:『僕が死んだら、(お前が)喜ぶかな?と思ってさ。』
長谷川さんは、本来はこういうことをおっしゃる方ではないと思います。
認知症になることで、本能的な感情が露出しやすくなるのかな?と、拝見していて思いました。
📺 提唱していたデイケアを拒否
1日だけの見学で‥と、長谷川さんはデイケアに行きました。
ところが、ご自分と同年代のお年寄りに囲まれて、長谷川さんは孤独でした。
長谷川さん:『もう、行きたくない。』
ご自分が、現役時代に『認知症の患者さんは、家族のためにデイケアを利用しよう』と提唱されていたにもかかわらず‥。
まりさんにこの件を指摘され、長谷川さんは言い返すことができませんでした。切ないです。
✅ 私の感想ですが
長谷川さんは、知性が勝ちすぎているぶん、ケアに身をまかせることができなくて苦痛でいらっしゃるように見えました。
認知症のお年寄りは『患者』であり、自分は『医師』であるという自尊心。それはしょうがないように思えます‥。
✅ 私の祖父もとても気丈な性格で、
家族にすすめられて、デイサービスに体験で行ってみたものの、『自分の行くところではない』と拒否。同居の長男家族が困ったそうです。
📺 講演会でのできごと
長谷川さんはその後‥
認知症の人が陥りやすい、気分の落ち込みを経験していました。
そんなある日、町内会で講演会を控えていた長谷川さん。
『ヘンなこと言わないでよ?』
奥様と、まりさんに心配されながら‥、
長谷川さんは、聴衆の前で、
最後にうたう段取りだった『🎤ふるさと』を、イキナリ歌うことからスタートしてしまいます。
まりさんは慌てて止めようとしますが、そのまま歌う長谷川さん。
📺 認知症になっても、変わらない
講演会の終了後で、まりさんは質問します。
まりさん:『なぜ、歌うところから始めたの?』
長谷川さん:『みんなベターッとすわって、難しい会議していたんでしょ?』
長谷川さん:『歌うところからはじめて、解きほぐされてよかったじゃない』
まりさん:『‥それは、そうかもね』
まりさんは、父親の思いを受け止め始めていました。
まりさんは回想します。
『父は出かける前の、自宅のリビングに居たときから、歌詞カードをにぎりしめてました』
『父は、最初からうたうつもりだったんでしょうね』
認知症になっても、人柄は変わらない。
まりさんは、そう気づけるようになったそうです。
📺 先輩の、言葉の意味は?
その後、さらに月日が進み‥認知症が進行しているように見受けられる、長谷川さん。
長谷川さん:『夢と現実の境目が分からないようになって、夢の中のできごとが、そのまま続いているように感じることがある』
長谷川さんは、有料老人ホームの利用を考え始めていらっしゃるそうです。
(たしか、見学に行かれたのかな‥)
長谷川さん:『ガマン。早く帰りたい‥戦場(自宅)に帰って、戦いたい。自分の戦場で。』
帰宅した長谷川さんを迎えた奥様は『もっとごゆっくりなさればいいのに』と😅
帰宅後すぐに、論文を書き続けたご自身の『書斎』へ。
長谷川さん:『ここへ来ると落ち着くんだ‥』
ここで冒頭で紹介した言葉が登場します。
長谷川さんが、かつて先輩の医師から言われた言葉があり、
キミが認知症になってはじめて、キミの研究は完成する
📺 見える景色は変わらず
認知症の症状が進行しても、講演会を続ける長谷川さん。
長谷川さん:『家族と同じ苦しみ・楽しみをわかちあっている。毎日ひとつひとつを笑っていく、というのが大切だと思います』
長谷川さんは、1日の終わりに必ず奥様に『伝える言葉』ができたそうです。
長谷川さん:『じゃあ、今日も1日ごくろうさん。』
『ありがとうね、瑞子(みずこ)』
(2019年10月時点で、奥様とまりさんの区別がつかなくなられていました)
長谷川さんいわく『認知症というのは、余分なものがはぎとられちゃう』とのこと。
長谷川さん:『心配はあるけど、心配する気づきは無い。それが神様の用意した救いだ。』
長谷川さんは、認知症と向き合いつづけて2年。
NHKの取材クルーは、最後に聞きたいことを聞きました。
『認知症になってみえる景色はどんな景色?』
長谷川さん:『同じだ。前と変わらない』
変わらず、奥様のピアノ演奏『悲愴』に聞き入る長谷川さんでした。
📺 感想です
認知症になったからといって、自分はそのままでいるというのは、以前のこちらのお話⬇を思い出しました。
認知症の方は、とんでもないことをイキナリ言いだすワケではなく、
何か・その方なりの考えがあって、出た言葉・言動であると理解するべきなのでしょうね。
発達障害児に接するのに似ているのですが『なぜ・そんなことを言い出すの?なんで?😲』と、いちいち非難のリアクションをされるのが切ないようです。
受け止める側は、忍耐が必要ですよね‥
長谷川さんの奥様と娘様のご苦労を拝見して、支えられていてすごいなと思いました。奥様お優しい‥
今回の長谷川さんの体験談から、認知症のケアがさらに昇華されることを願います。
もっと言うなら一刻も早い、決定的な治療法を❗
今回の記事は以上です。